THE GEISAI

21世紀の芸術革命

「GEISAI」を興した出自は、江戸時代「寺小屋」的な教育の現場だった。日本美術、芸術の未来を担う「作家の卵たちの培養槍」をつくり、日本独自の新しい芸術を動かして行く仕組みを作りたい。そして、その土台となっていくものはとりもなおさず「人材」なのだ。その人材を養成していく日本型の芸術の教育機関をうまくオーガナイズすることは出来ないか?

現行の美術大学、美術専門教育では教えられないであろう「世の中と継い対していくためのコミュニケーション能力」を、現場で実験、実践し、トレーニングして、結果を想定できる推論を立て、現実社会へ船出していくこと。そんな仕組みを作りたい、と大志を持って「GEISAI」の前進、「芸術道場」はスタートした。

そういった意味で「GEISAI」は最初から教育的なコンセプトを抱えいるイベントであった。プロデビューの仕方、作品の見方、買い方、売り方などを、日本の社会のリアリティに即した形で学んでいってほしい。そういった場を提供し続けることが「GEISAI」の根幹であると考えている。

私は日本の美術界に対して、拭えぬ疑念と絶望を感じている。日本のアートマーケットを信じていないし、美術館の成り立ちにも不満がある。突き詰めていけばそこで働いている人間たちの意識、展開のなさ、それら美術業界の状況に対してのりである、なので最近課題になっている公立美術館の閉鎖や予算不足のドタバタ経過に至っては、むしろ痛快にすら感じて見聞きをしている次第だ。

もちろん物事を根幹から変えていくことは、たやすいことではなかろう。特別、美術館といった公立の機関であれば、公衆との対話も運営の要素として入れていく必要がある。そうすると定めたターゲットへの焦点もぶれてしまうこともあるだろう。

「学芸員」という名の現状に置ける雑務係が、あれもこれもと働き回っても終わらぬ業務には大いに同情もできよう。しかし、そんな現場でも改変への糸口はあるだろうし、仕組みを変えていくような「根幹の発見」を美術業界誌に発表できるくらいはできるはずだ。どんな社会だろうとギュウギュウ詰めの現実と、理想の現場の隔たりはある。

その間を埋めていく勇気と知恵を絞る、そして惜しまぬ労働への気力こそが、この業界に生きる人々が、長い間、忘れてきたことなのだ。アートマーケットを司る若者たちにしても、バブル経済時に矢墜させたマーケットへの信頼回復のシナリオを書いている気配もなく、最近では当時とまったく同じような非常に低レベルな美術投機を、現代美術に疎いコレクターや、無知な素人収集家へ薦めている輩も出現している。

そして、アートマーケットが視野に入っていない日本の美術のジャーナリズムも、 根拠の薄いSFチックなアート未来像の案出や、リアリティない海外レポートのみの誌面は改変していったほうがいいだろう。私たちに必要なのは、「大きなふろしき」とも思えるような夢と理想だけでは無く、現実を如何に変革して行くかの勇気である。「GEISAI」はその勇気を持って、一人の力ではなく多くの芸術家、芸術関係者のエネルギーを束ね、自分たちの足で0ーゼロから変革基盤を価格基準を造って行こうとする芸術のイベントなのだ。

(村上隆『The★ Geisai―アートを発見する場所』(有限会社カイカイキキ 2005年) 5頁より)